親への感謝が得られないことに悩む人がいます。一部の人は自分を責め、なぜ感謝すべきなのか疑問に思うこともあります。
普通、大人になるにつれて親に感謝する気持ちが芽生えてきます。これは、年齢を重ねると経験から得られる気づきが増えるからです。
感謝の気持ちに葛藤しているなら、それは学ぶ時期がやってきた合図かもしれません。これを一つの機会と捉え、自分自身と向き合ってみる価値があるでしょう。
親に感謝できない人の特徴
親への感謝が難しい人の特徴としては、親に対する理想像が強くあります。
生まれてからの年月は、誰かに世話をされている期間であり、親はその存在が何でも解決してくれるような頼もしい存在として見られます。幼い頃には、親は完璧であると信じていますが、成長するにつれてその理想像が崩れることに気付き、ショックを受けることがあります。
また、友人の親と比較することで、自分の親との違いに戸惑いを感じることもあります。
幼い頃は純粋なため、親に対して過度な期待を抱くことがありますが、その理想像が壊れると、裏切られたような気持ちになることもあります。
大人になるにつれて、理想と現実のギャップを受け入れる術を身につけ、親への感謝の仕方を自分なりに理解し始めます。自分なりの視点で、与えられたものに焦点を当てることで、感謝の気持ちも芽生えますが、不足を感じる場合には感謝が難しくなるでしょう。
親に感謝できない原因
なぜ親に感謝できないのかというと、感謝できるほどには恩を感じていないという面が大きいでしょう。
感謝の気持ちは、一般的に自然に湧いてくるものだと言われます。しかし、自然に湧いてくるのを待っているだけでは、自分がありがたいと思えることでしか感謝できなくなります。
実際には、感謝は普段から意識しているかどうかにかかっています。意識していなければ、日常の中であたりまえのこととして受け止められ、感謝の気持ちが薄れてしまうでしょう。
また、同じ親に育てられた兄弟でも、性格や捉え方の違いによって感謝の度合いが異なります。これからも、感謝の有無は個人の資質によるものです。
「毒親」とは、子供を支配し、害を与える親のことです。暴言や暴力が伴うケースもあり、子供の心に深い傷を残します。虐待行為でなくても、子供の気持ちや考えを無視する親は、子供にとって認められない存在となります。
毒親に対して感謝できないのは当然のことです。恩を感じるどころか、反発するのも無理はありません。
しかし、恨みや憎しみを抱いたままでは幸せになることは難しいでしょう。大人になるにつれて、親への感謝の大切さを耳にすることもありますが、毒親に対しては無理に感謝する必要はありません。ただし、恨みや憎しみを手放し、自分自身を解放することが重要です。
親に感謝できないスピリチュアルな理由
「親に感謝しろ」とか「親には感謝すべき」と言われるのは、感謝を強要されているようで、腹立たしく感じるかもしれません。
親が毒親であれば感謝などできる訳がないというのも確かです。
毒親の特徴は自分の問題を人のせいにするところがあります。
特に子供に対しては支配しやすいので、自分の気持ちを押し付けやすくなるでしょう。
そうした親に育てられた子供はその影響を受け、感謝できない正当な理由があるとしても、親の態度の悪さを理由にして、自分の問題を親のせいにしてしまうところが出てくるのも確かです。
毒親に苦しめられているのに、なんで感謝しなければならないと葛藤しているならば、おそらく毒親と思われる親自身も心の中では苦しんでいるのではないでしょうか。
現実には、お互いが合わせ鏡として学んでいるところがあり、お互いの成長のための学びとしての問題を解いている最中にあると考えられるのです。
これがカルマの刈り取りというものであり、親に感謝できないスピリチュアルな理由なのです。
カルマとは「思いと行い」の結果つくりあげてきた心の傾向性であり、偏った傾向性を修正していくことで、カルマの刈り取りとなり自らが成長していく仕組みとなっているのです。
例えば、前世毒親に苦しめられ、親を恨んで人生を終えたとすると、親子関係のなかで恨みをもつというカルマがつくられます。
このカルマを解消させるためには、相手の立場を経験するのが一番の学びになるので、次回生まれ変わるときに、親と子の立場を逆にして生まれてくることがあるというものです。
子供の立場では「親はこうあるべき」として恨んでしまったが、同じ相手と立場を逆にし今度は自分が親になった時に、「こうあるべき親」になれるかどうか、相手の気持ちを理解し、恨み心を解消できるか試されていると考えられます。
恨み心を解消するのは何故かというと、それは愛とは何か、愛するとはどういうことなのかを恨みを解消するというカルマを通して学んでいるといえるのです。
これは、カルマという思想を信じなければ成り立ちませんが、生まれ変わりを待たなくても、自分が親になって子供を育てる経験を通して親のありがたさに気づく人も多くいます。
毒親であっても感謝できるところもあったと思えるようになれば、生まれ変わって逆の立場を経験しなくても、カルマは解消されていくでしょう。
「生んでくれてありがとう」という感謝の言葉が出てこないこともあるでしょう。
特に感謝を強要されると、産んでくれなんて頼んでないと言いたくなってしまうこともあるでしょう。
これは私の体験談ですが、父親に対してどうしても感謝の思いが湧いて来なくて何故だろうと考えていた時期がありました。
それは、大人になってから感謝の大切さを知り、両親に対する感謝のワークに取り組んでみたのですが、母親に対しては感謝の気持ちは出てくるのに、父親に対しては何も思い浮かばないのです。
その理由として、父親との関わりがほぼないまま、父は私が小6の時に亡くなってしまったので、何を感謝していいのか分からなかったのです。
何かないだろうかと考えてみると、私は父親が50歳の時の子供であり、その年齢でよく生んでくれたなという思いくらいしかありませんでした。
それから何年か過ぎ、ある時夢を見ます。
夢は、生まれる前の世界で私がこの時代に生まれたいから父親になってほしいと頼んでいる姿でした。
相手は今世の父親ですが、父は「嫌だ」と言います。
何故かというと、自分はすでに3人の父親になる予定である
ので、これ以上子供はいらないということでした。
しかし、他に頼める人もいなかったのか私はなんとかお願いしますと頼み込みます。
根負けした父は言いました。
「分かった、でもお前の面倒はみないからな、ただ生むだけだからな。」という返事でしたが、それに感謝している私がいたという夢です。
実際、4人兄弟の末っ子であり、ほぼ関りもない父親に対して不満をもった記憶もないことは考えてみれば不思議ですが、夢が現実のものであれば、とても納得できるものであり、自分ではそうなんだろうと思っています。
それからは、父親になってくれたおかげでこの時代に生まれることができ、出会うべき人とも出会えた幸せは生んでくれたお陰であると感謝しています。
親に感謝する方法
感謝は無理にできないが、感謝できるきっかけになる出来事は人生の中に幾度かあります。
例えば、
誕生日などで成長を喜んでくれた時
風邪をひいたときに看病してくれた時
学費を出してもらっている時
生活のために懸命に働いている姿を知った時
就職し生計を立てる厳しさを知った時
一人暮らしを始めた時
結婚した時
子供ができ、親の立場になった時
口うるさいと思われるのを分かっていても心配してくれる時
親が亡くなった時
親だから当たり前と思ってしまえばそれまでですが、恩を感じないのは感じない何らかの理由があるはずです。
特に、親に反発する気持ちが強くあるならば、そこに自分が成長するための問題があると考えられます。
時期が来なければ問題と向き合うことはできないので、無理に感謝する必要もないかわりに、出来る限り反発する気持ちを抑え、穏やかな毎日を過ごすように心がけるのが良いでしょう。
穏やかな日々を過ごし幸福感に包まれていると、自分の周りには喜びが満ち溢れていると感じられるようになり、少しづつ感謝できるところにも気づけるようになってくるはずです。
親には感謝しなければならないのか
「親には感謝しなければならないのか」という疑問を持っている人もいるでしょう。
この疑問は親に感謝できている人ではなく、感謝できていないから出てくる思いであることは確かです。
しかし、「親には感謝しなければならないのか」と考えていること自体が、心の奥では親に感謝したいという思いを抱いている証拠ではないでしょうか。
親には感謝できないが、他の人には感謝できるという人であれば、親にも感謝できるようになれたらいいなと思っているはずです。
他の人には感謝できるが親には感謝する気もないというならば、他の人への感謝も自分の都合のいい感謝になっているのではないでしょうか。
「感謝しなさい」とは言いませんが、親に感謝できないということにとらわれなくなればいいなと思っています。
感謝はしなければならないものではありませんが、なぜ感謝するのかといえば、感謝は喜びだからです。
喜びだから感謝したくなるのです。
今は親に感謝できなくても、恨み心がなければ、感謝できないことにとらわれることもなくなってくるでしょう。
まとめ
親との関係は自分の人格形成にとって、良くも悪くもとても大きな影響を与えるものです。
身近過ぎてお互いに甘えすぎてしまい、感謝する必要も感じなくなってしまうのかもしれません。
当たり前すぎて感謝の気持ちが出てこないとしても、ありがたいと思える何らかの行為はあるはずです。
そうしたところに気づけと言いたいわけではありませんが、そうしたところに気づくことは喜びであることに気づいてもらえればと思っています。