「別の家で生まれたかったなぁ」
「あの子の家っていいなぁ」
こんな風に、何度もそう感じたことがありました。
他の子供たちは持っているのに、自分だけ買ってもらえない
門限が厳しく、友達と遊ぶのが難しい
あれこれ口出しをされる
自分の意見を主張したこともありましたが、「外は外、うちはうち」と言われてしまい、何も言えなくなりました。厳格な環境で育った人に共通する特徴と、恋愛に与える影響を紹介してみましょう。
他人軸になりやすい
人の表情や反応を気にしすぎて、言いたいことを言えなくなったり、自分の意見が曖昧になったり、他人に合わせることが増えることがあります。
これはよく次のように感じることが背後にあることが多いです:
「どうせ言っても無駄だろう」
「誰も聞いてくれないから、黙っていよう」
「また怒られたくないから」
親の反応を気にしながら、その反応に合わせることを学んだ結果です。親が厳格である場合、このような行動が身につくことがあります。
親が厳格だと、自分の意見や感情を表現することが難しく、他人に合わせることが重要だと感じます。その結果、他人中心の行動パターンが強調され、自分自身を主張し、自分の選択をする能力を育む時間が限られる場合があります。
自分のことがよく分からなくなる
自分自身を見つけることが難しい
感情や好みが不明瞭
これらは、親が厳格であった人がしばしば経験する感情です。
私はしばしば思っていたことがありました:
「些細なことでも、自分の本当に欲しいものが欲しい」
好きなことは、生まれつき明確に分かっているわけではなく、自分で様々なことを試してみて初めて明らかになるものです。
そのため、好きなことを発見し、自分自身を理解するには、何かを試してみる時間が不可欠です。
「これは楽しい」
または
「失敗したけれどもう一度挑戦しよう」
など、これらの経験を通じて、好みや自己理解が築かれていくと思います。
しかし、親が厳格である場合、この時間を取ることが難しいことがあります。
親の反応に注意を向け、本当に自分が何を望んでいるのかを感じる時間が限られてしまうからです。
私は高校生の頃、自分自身を見つけるための手引き書として親の期待を探しました。
怒られない方法は何か
自分の希望を叶えるためにはどうすればいいか
どの瞬間においては、自分の希望は実現できないのか、諦めるべきなのか
自分の人生を生きるはずなのに、親の期待に縛られながら生きていることに疑問を抱きました。
人や環境のせいにしてしまう
「どうしてこんなふうに言わなきゃいけないのかな」
「こうなればもっといいのに」
愚痴が頻繁に出たり、周りや相手を非難する癖があるのは、個性の問題ではなく、親が厳格であることに起因することがあります。
親が厳格である場合、自分のやり方で試行し、結果に責任を持つ機会が制限されることがあります。ある種の制約の中で生活しなければならないことがよくあります。
その結果、責任の一部が常に親に委ねられ、自由な選択肢が制約されることが一般的になります。
何か問題が生じた場合、責任を親に押し付ける癖が付いてしまうことが、大人になっても持ち続けることがあります。
ネガティヴになりやすい
親の厳しさは、やりたいことを実現できないし、友達と楽しい時間を制約され、精神的な重荷を抱える原因となります。そして、この重荷は大人になってもなかなか消えないことがあります。
親の厳しさは、しばしば「君はダメな人間だ」というメッセージとして受け止められます。私は、自分が親の厳しさを受けるのは、自分が価値のない存在であるからだと信じていました。実際、子供は何か問題があった場合、自分が悪いと感じることが一般的です。
このため、学生時代から自己評価が低く、悲観的な思考に陥り、感情的に不安定になることがよくありました。将来に対する不安も頻繁に感じていました。
特に、高校1年生の時から将来に対する不安が顕著で、早い段階で「これからどうなるんだろう」「自分は本当に成功できるのだろうか」といった心配が頭をかすめていました。
失敗を恐れるようになる
「何か失敗したらどうしよう」
「どうせ、上手くいかないだろう」
「何とか成功させなければ」
このようなネガティブな思考が、いつも頭の中で低い音で響いていました。
楽観的に考えることはできましたが、感覚的には「うまくいくだろう」という確信を持ちにくかったです。
親が厳格であると、親が設けたルールに従うことが求められます。
この結果、自己決定や自己行動の機会が制限され、失敗から学ぶ機会も減少します。その代わりに、失敗=怒られる、否定されるという認識が無意識に強調されることがよくあります。
うまくいかない「共依存的コミュニケーション」を身につける
共依存は生きづらさの根源とされ、特に身近な人とのコミュニケーションに問題が生じやすいと言われています。
例えば、
「他人に理解されない」
「自分の努力が認められない」
「孤独感を感じる」
これらの感情は共依存の特徴と関連付けられることがあります。
私は母親に対して、「なぜ私の気持ちが理解されないのか?」や「どうしてこうなってしまうのか?」としばしば考えました。何度言葉で説明しようとしても、理解されないと感じることが度々あり、それは非常に悲しい経験でした。
また、気付かないうちに他人の問題に口を出してしまうこともあります。たとえそれが自分の生活には直接影響しない問題であっても、例えば「親が〇〇で困っている」と感じることがあります。これは共依存の影響で、他人の問題に過度に関与し、自分自身の境界を曖昧にする傾向があることが関連しています。
完璧主義
完璧主義は、「ある基準が存在し、それを達成しなければならない」という感覚に傾きやすい傾向があります。自己満足度よりも、その基準を満たすことが何よりも重要と見なされ、自己評価は基準の達成度合いに対して行われます。
自分自身を常にチェックし、基準に合致するように努力する姿勢が完璧主義的とされます。
「できる人でなければならない」という感覚は、完璧主義の一例であり、自己評価が基準の達成に依存していることを示しています。このような考え方は精神的に負担がかかり、目標が達成されても満足感を得にくいことがあります。絶え間ない努力が必要で、それが継続的なストレスをもたらすこともあるでしょう。
人目が気になる
「人前で自分自身を表現することが難しい」と感じることは、自己評価や他人からの評価に対する過度な意識が背後にあることが多いです。
「どうすれば正しい行動を取るべきか?」や「この態度が適切なのだろうか?」という不安や疑念がついつい頭に浮かび、他人の視線や評価に過度に敏感になります。
怒られることが多かった場合、このような感覚がより強調されることがあります。自分の行動や性格を善悪の判断基準に結びつけ、自分が「良い人」か「悪い人」かを判断しようとします。
しかし、このような過度な自己評価と他人の評価への過剰な依存は、自己受容や自己表現の困難さを引き起こし、精神的な負担を増加させることがあります。自己受容を強化し、他人の評価に過度に依存しない自己像を築くことが大切です。
生きづらさから抜ける鍵
「なぜ親はあんなに厳しかったのだろう」
「別の家に生まれていたら良かったのに」
生きづらさの原因が親の影響にあることに気づいたと同時に、親に対する複雑な感情を抱くことは一般的です。
私も長らく自分の人生が親によって奪われたと感じていました。
「何の罪もないのに、もっと素晴らしい経験ができたはずだ」と思ったこともありました。
しかし、親の影響を認識し、それを取り除くことができれば、自分の真の本質を見つけ出す鍵を手に入れることができます。親の影響から解放されることで、失われた自己を再発見できるのです。
実際には、このプロセスは難しいこともあるかもしれませんが、影響から解放され、本当の自己を見つけた時、言われる通りの「三つ子の魂百まで」ではないと感じることでしょう。
また、この道を歩んできた経験を振り返り、コラムを通じて共有することを検討しているのは素晴らしいアイデアです。多くの人が共感し、助けを得られることを願っています。